始めての個展のあとで



昭和61年の夏
私は始めて写真の個展を開きました。
タイトルは「沼の楽譜」、京都の町中に存在する「小さな池(深泥池・国指定の天然記念物)」の動植物の四季の営みを追った写真展です。

京都人ならちょっと気になる「深泥池」の写真とあって、新聞やテレビでも数多くとりあげられ、会期中2000人を越える人々でにぎわい初個展の成功は大変うれしいことでした。
そして、これで写真家として世間に認められ仕事も増えるだろうと感じていました。

個展も終わり、数日していつもの出版社の担当者からお呼びがかか、り私は当然、良い話しであるだろうと期待して出向きました。

ところが、先方は私の展覧会活動をあまり良しと捉えていないようなのです。
個展は褒めていただいたのですが、どういうわけか写真撮影代の見直しを余儀なくされ、その年から値下げの契約をさせられてしまいました。

追い討ちをかけるように、他社からも「うちは写真の先生はいらんなあ」と言われてしまったのです。京都流に言う「京都人のいけず」をまともに喰らったのでしょうか。私はそれらの出版社から自然と離れることになり、そして、いつか見返してみせると、懲りずに展覧会活動を続けてきたのです。

時がたち、今は仕事抜きにして、どちらの出版社の人達とも、わだかまりもなく付合ってはいるのですが、あの個展のあとの出来事は、『ほんまもんの「京都人のいけず」やったんやろか』、はたまた『小さな成功で有頂天になってしもうた若い自分の言動に問題があったんやろうか』
最近接する若い写真家たちを見て、ふっとあの頃の自分を思い起こす昨今です。

亀村 俊二

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